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2024年8月の1枚です (Sadistic Mika Band)

[2024.08.15]

サディスティック・ミカ・バンド

黒船 (1974)


今月は他の盤を取り上げようと思っていましたが、新田和長さんにお会いできる機会に恵まれたので、この盤を紹介します。

1970年前半の日本はまだシングル至上主義でしたが、ミカバンドは世界に出るためにアルバムで勝負に出ました。当時東芝EMIのディレクターだった新田さんは、ミカバンドを担当されていました。加藤和彦さんたっての希望で、かの有名なクリストーマスにプロデューサーを依頼するために渡英、交友を深め承諾を得て帰国します。その後、英国プログレッシブロックの名門レーベルであったハーベストのマネージャーであったステュワートワトソンを日本に招き、英国での契約に漕ぎ着けます。新田さんは統括プロデューサーとして、おもてなしの精神と情熱で道を切り拓いていったのです。

 

そしてもう一つ、”黒船”が特別な理由は、加藤さんの飽くなき探究心にあります。西欧の音楽を模倣し、咀嚼して日本独自の音楽へと転換していく作業には目を見張るものがあります。明確なコンセプトを掲げて、日本人のみならず海外の人をも驚かす音の世界。幕末をテーマに、日本の開国、つまり日本ロックの開国を高々と宣言しました。グラム、ブギー、プログレッシブロック、ファンクを通り越してパンクまで行き着きますが、全編を通して日本国への愛と和の精神に満ち溢れています。

 


A面は、プログレッシブの力を借りながら幕末の日本を描く名演”墨絵の国へ”で始まります。冒頭では、遠くからやってくる黒船が横須賀港へ着く瞬間を体験することが出来ます。3曲目には、ミカバンドの代表曲”タイムマシンへおねがい”が収められています。この曲はその数年後に登場するパンクの先駆けと言っても過言ではありません。グラム・ブギーロックとパンクロックの架け橋、それが日本のバンドであったと考えると胸が熱くなります。少々妄想が過ぎますが、いつかクリストーマスかグレンマトロックに真相を訊ねてみたいです。そして邦題曲の”黒船”(寛永6年6月2日〜4日)が圧巻です。もちろんピンクフロイドも好きですが、この世界観は日本人だからこそ成し遂げることが出来たと思います。


B面は、”どんたく””四季頌歌”や”颱風歌”など和色が強まります。現代人が失ってしまった、我々のアイデンティティを呼び起こしてくれるような素敵な音の世界が存在します。クリスも驚いたに違いありません。

 

クリスはディレクターに徹し、新田さんは統括プロデュサーとしてバンドを支えました。クリスは、ビートルズの”ホワイトアルバム”、ピンク・フロイドの”狂気”を手がけた(数年後にはあのピストルズも)、当時世界一のプロデューサーでした。そんな彼を本気にさせ、実験を繰り返しながら「黒船を作り世界に向かって船出する」というコンセプトを完遂させたのです。

 

“黒船”の音作りは、日本のサウンドプロダクションを大きく進歩させました。ご本人達から語られる言葉には重みがあり、涙なしには聞けませんでした。エンジニアとして音作りに貢献された蜂屋さんの話も貴重でした。これまでもずっと愛聴盤でしたが、輝きが増しました。

 

(左から3人目が新田さん、4人目が蜂屋さんです)

 

(レコード内のクレジットより)

 

新田さんと一緒に聴く”心の旅”や”翼をください”もまた、感動ひとしおでした。忘れかけていた日本人の心をぐっと取り戻しました。ジャケットの隅にひっそりとサインをいただきました。新田さんのお人柄が滲み出ています。

1974年に日本の「これからの時代」を定義し、ビッグバンを引き起こした邦楽ロックの金字塔です。

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